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[ 2014年03月25日 - 16:07 ]

【「無理そうだから精いっぱい生きて」】

■ 母のため、仲間のため―。第86回選抜高校野球大会(センバツ)に出場する光星で、エースナンバーを背負う佐藤駿君(17)=3年=は中学2年生のとき、東日本大震災で、出身地の宮城県東松島市で被災した。今も行方が分からない友人もおり、一時は野球をやめようと思ったが、母紀恵さん(49)らの支えで立ち直り、夢の甲子園の土を踏んだ。
強く、長い揺れ。佐藤君は震災時、卒業式の準備のため学校にいた。家族はいったん自宅に戻ったが、紀恵さんは海岸沿いにある勤め先の石巻市立病院へ。佐藤君は「津波が来ると思った」と感じ、野球道具が流されないよう2階に運ぶと祖母、叔母とともに高台へ避難した。
 紀恵さんは車を運転中、津波に襲われた。ドアが開かず「無理そうだから精いっぱい生きて」と覚悟のメールを息子に送った。幸い、物がぶつかった弾みでドアが開き、消防隊に助けられた。
 同級生やチームメートの何人かは今も行方不明だ。「野球どころじゃない」と落ち込んだ。立ち直るきっかけは中学時代のシニアチームの監督に相談したとき。監督は「将来後悔しないよう、子どもには好きなことをやらせた方が良い。自分たちもサポートする」と紀恵さんに伝えた。
 周囲に支えられ再起した佐藤君。甘えないようにとあえて親元を離れ、「レベルの高いところでやろう」と光星を選んだ。中学時代は遊撃手や投手、捕手と幅広くこなしたが、入学後すぐに「球の質が良かった」(仲井宗基監督)と投手の道へ。直球が最速140キロを超える右の本格派として頭角を現した。
 佐藤君が「大事なときに着ける」というグラブは、震災時に2階へ運んだ野球用具の一つ。センバツでも使うつもりだ。甲子園出場が決まったときは、紀恵さんに「あのとき野球をやめていたら今はなかった」とメールで励まされた。
 21日の開会式で、息子の晴れ姿をスタンドから姉の綾香さん(24)と見守った紀恵さんは「涙が出てよく見られない。結果はどうあれ気負わず楽しんでほしい」と感慨深げ。佐藤君は「野球を続けられたのは母のおかげ。そして、仲間のためにも精いっぱい頑張りたい」と、登板を心待ちにしている。



スレッド作成者: ザンパリーニ (ZN.CF0to81s)

このトピックへのコメント:
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(03/25 - 20:58) お母さん助かってよかった
(03/25 - 20:20) やきう
(03/25 - 20:19) でっていう
(03/25 - 20:15) この記事見て選手に頑張って欲しいと特段思ったワケではなく、親からあんなメールが来た時のことを想像したら、地下鉄の移動中だったけど鳥肌が立った
(03/25 - 19:12) 長くても読んでない。誰か要約してくれ
(03/25 - 17:49) こういう記事見て感動するとか頭おかしい
(03/25 - 16:16) 主に同意