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彼は今もその日の始まりをよく覚えている。
当時、小学5年生だった彼は朝から違和感を感じていた。
いつもは窓を開けて手を振ることなどない母親が、
自分の姿が見えなくなるまで手を振っている。
胸騒ぎを覚えたが、それは少年特有の恥ずかしさにすり替わった。
「母ちゃん、もういいよ。恥ずかしいから」
2限目だった。彼は「お母さんが怪我をした」と校長室に呼び出される。
何が起きたのかは分からなかったが、恐ろしいことが起きた気がした。
鼓動の高鳴りを抑えようとしたが収まらない。
お母さんのところに行くから、と乗せられた車の中で
「母ちゃん、大丈夫なんだよね!」と先生に聞く。
しかし先生はうんと言ってくれない。車が到着したのは
自宅ではなく、近所のおばさんの家だった。
彼は激しく激高する。
「ここは僕んちじゃない!」
お母さんは病院にいて今は家にいない、という要領
を得ない答えに、さらに強く動揺する。
5歳年の離れた兄が入ってくると、
弟はようやく味方を得た気分になったが、
兄の様子を見て思わず愕然とした。
年が大きく離れ、「大人に見えた」兄が半べそをかいていたのである。
「母ちゃん、死んだんだ」
兄に告げられても、彼は信じられなかった。むしろ憤りさえ覚えた。
「母ちゃんに会わせろ、オレが生き返らせてやる!」
だが、遺体を拝む事はできなかった。
母はビルの屋上に上がり、
自らガソリンをかぶって火を放ち、そのまま飛び降りた。
少年は同じ言葉を繰り返していた。「母ちゃんに会わせろ」と。
「親父とは離婚していて…。お金には困ってました。
兄貴が貯めていたお金を母ちゃんが黙って生活費に充てて。
二人は大喧嘩です。けど、たった1万円ですよ。
愛があればお金なんていらない、という人もいますけど、
それは本当の貧乏を知らない人が言うことですよ」
母が自殺した理由も、その貧しさに起因していた。
一人で二人の息子を育てる彼女は
化粧品のセールスレディとして働いていたが
給料は歩合制で成績が落ちてくるとノイローゼになった。
さらに同僚たちからの虐めを感じ
精神的に追い詰められた。
最初は手首を切り、
2度目は睡眠薬を飲んで自殺を図ったのだと福田は言う。
福田健二宛に残された遺書には、たった三行だけ記されていた。
「好きなサッカーで
世界に胸を張れる
選手になって下さい」
福田は声を絞り出す。
「兄貴はこれからのこととか、大学を出て、
とか原稿用紙3枚も書かれていたのに、 なんで自分は3行、
しかもサッカーのことだけなのか、と悩みましたね。
確かに、サッカーの練習だけは一度も休まなかったですけど。」
その日から、彼はサッカーを通じて人生を自問自答しながら
歩んでいくことになる。
朝起きてから夜寝るまで、彼はサッカーを意識して生活する。
そうでないと、自分がダメになる気がするのだった。
「母ちゃんが死んだときは、施設に入れられそうになってね。
結局、千葉にいたオヤジに引き取られるんですけど…。」
しかし引っ越した千葉での生活は、
辛酸をなめ尽くすようなものだった。
「オヤジには『サッカーは金がかかるから辞めろ』と言われました。
『勉強も役に立たない』と教科書を捨てられて。
中学の時は荒れてたし、先輩から『調子に乗っている』
としめられました。
一匹狼みたいな感じで突っ張っていて、
その筋の人に入らないか、とも誘われました。
俺が信じられるのは兄貴だけだった」
中2になると、福田は練習に行けない日が続いた。
練習場に通うための、
大人800円の電車賃が捻出できなかったからだ。
全日本クラブユース出場も、遠征費が払えないからと辞退。
それでも中3の冬の大会では、
チームメイトだった広山が福田の父に懇願し、
足りない旅費はチームのオーナーが 肩代わりしてくれたことで
彼はほぼ1年ぶりのピッチに立つことが出来た。
そこで福田はブランクを感じさせずにゴールを量産し、
チームを全国3位に導く。
彼はある決意を導き、中学時代を終えようとしていた。
福田は真剣な表情でブラジル人少年達が語る言葉を聞き、
瞠目する思いだった。
「大きくなったら、プロサッカー選手になって、
たくさんお金を稼いで、 お母さんに大きな家を買ってあげたい」
自分がプロ選手になっていれば、
お母さんを楽にさせてあげられていただろうにと、彼は想像した。
当時、日本にはまだJリーグというプロリーグが存在していなかった。
だか福田がブラジルに自分が生きる場所を求めたのは、
飽食の日本に溶け込めない自分の存在を感じていたからだ。
貧しさから抜け出すために懸命に生きようとするブラジル人に、
彼は共感を覚えずにはいられなかった。
中学校の担任との進路相談で、彼は真剣な表情で言っている。
「卒業したら、ブラジルに行きます」
先生は呆けた顔をしていたが、彼は大真面目だった。
2005年8月20日、イラプアトの第3節はホームゲームだった。
1−0という場面、彼は任されたPKを外してしまう。
「サポーターにはいろいろ言われているでしょうね。
FWは結局ゴールだから、ゴールしないと絶対に評価されない」
彼はこのままでは日本に帰れない、という切迫した心境でゴールを睨み続ける。
そして何かあると最後に母がくれたメッセージを思い返している。
「好きなサッカーで
世界に胸を張れる
選手になって下さい」
これ何度見ても泣ける…
[ 2016年05月08日 - 15:01 ]
17:43 (05/09 - 01:31) その程度なのはお前の人生だろw
(05/08 - 23:39) これ10年以上前のNumberからのコピペだな
(05/08 - 18:16) 広山のとこで泣いたT^T
(05/08 - 17:43) 今の今まで存在忘れてた。その程度の選手。胸を張れるほどの成績じゃなかったね。野たれ死ななければいいな。
ヘンリク (05/08 - 17:32) 充分世界に胸張れる選手でした。彼の挑戦する姿勢は、このバックボーンがあるからだと思います。お疲れ様でした。
(05/08 - 17:17) 俺は好きな選手だったな。珍しいオラオラ系FWで海外で結果も残した。
(05/08 - 17:12) 引退か。お疲れ
(05/08 - 16:51) 福田はスペイン2部で二桁得点記録した選手。立派に世界に胸を張れたと思うよ。
(05/08 - 16:32) 名古屋時代から好きだった お疲れ
(05/08 - 16:22) すげぇ話だなこれ・・・
(05/08 - 15:26) 広山偉かった。
(05/08 - 15:12) ウチも貧乏だったけど福田よりはマシだわ
(05/08 - 15:11) 福田の話はヤバイ。何がヤバイって全てがヤバイ