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奥寺康彦、王国のレベルの高さに砕かれた自信
https://www.sanspo.com/soccer/news/20150619/scd15061911000001-n1.html
ブンデスリーガ(ドイツ1部リーグ)でプロになる前に、ブラジルで修行した。18歳で日本代表に選ばれた僕は当時23歳だったが、サッカー王国のレベルの高さに自信を砕かれた。
<中略>
宮本さんと通訳と、バスに揺られて練習場に通う。1週間のメニューは月・火・水が走り込みや筋力トレーニングで、木は紅白戦。金は軽めで土は試合を行い、日曜日が休みを繰り返す。自分に足りないボール扱いの技術を学びにきたのに、体力作りばかりだ。「これでうまくなれるのか」。1カ月が過ぎ、読売クラブでも活躍した元ブラジル代表選手のジノサニ監督に「技術を教えてくれ」と頼み込んだ。
「分かった。30メートル向こうにいけ。オレに向かって浮いたボールを蹴ってみろ」
言われた通りに蹴ろうとするが、ボールは3本に1本しか真っすぐに飛ばない。その1本を40歳を超えた監督がダイレクトボレーで正確に返す。「今度はおまえがやってみろ」。僕のボレーは右に左にそれる。たかだかそれだけのことだが、これが超一流の技術だと思い知らされた。
そこそこのレベルでは、ブラジルの少年はトップチームに上がれない。これぐらいはできて当たり前。ここはプロの体を作る場だと、監督にはっきり言われた。
現地の少年の足元にも及ばなかったが、日本へ帰ると足腰がしっかりしたおかげで、プレーのスピードやボール扱いの精度が格段に上がった。技術だけではなく、フィジカルの強さも足りなかったということだ。
急成長した僕は日本代表として、8月にマレーシアで開催された国際大会のムルデカ大会に出場。釜本邦茂さんとのコンビで7ゴールを挙げ、得点王に輝いた。翌年の10月にはドイツへ移籍。ブラジルでの衝撃が糧になった。
先駆者ながらあまり語られない奥寺さんのネタです。
ブレーメン時代には戦力外にされだけど、リヌス・ミケルスと接点があったりとまだいろいろネタがありそうな感じなんだけど
[ 2019年04月30日 - 12:27 ]
(04/30 - 19:57) なかなかいい記事
(04/30 - 12:30) ブラジル(で初)体験(ブサイクと)